映画「バカ塗りの娘」見て色んなこと考えたから聞いてほしいんだよね(※ネタバレ含)


先日、「バカ塗りの娘」拝見しました‼️‼️‼️

最近なんか、ビンゴ大会でクッキー缶が当たったり、抽選でビール2本当たったりするな〜と思ってたら、バカ塗りの娘の舞台挨拶付き試写会が当たりました。願掛けでビンゴカードもビールの抽選券も取っておいてよかった。もちろん当選メールは保護しました。


ということで、私が映画「バカ塗りの娘」を見て考えたことをとにかく書き散らす回です。

宮玉ペディアぶりに文字を書くので読みにくかったらすみません。ていうか宮玉ペディアも更新したいよね。宮田くん、タイムマネジメントの仕方を教えてくれ。

⚠️「バカ塗りの娘」本編のネタバレを含みます⚠️
あと、1回見ただけだから普通に内容とか間違えてるかもしれません……映画公開後、ミスに気が付いたらこっそり直します

ネタバレ含みますとか言っておいてあれだけど、構成におもしろさを感じたのでその話が多分メインです。

内容にももちろん感想はたくさんあるけど、個人的にすごく印象的だったのが、「説明が少ない」作品構成。少ないどころか「なかった」かもしれない。一緒に見てくれたフォロワー(原作未読)に思わず「内容ついてこれた!?」て聞いちゃったくらい。
(でも、説明全然ないな!?て思ったのは、私が直前に原作読んだからかもしれないなって後から思った。小説だと映像がない分、状況とか心情の描写を細かく細かくすることで想起させやすくすると思うし、「ジャパン・ディグニティ」はそういうタイプの作品だったと思うので、ギャップが大きくて印象強かったのかも)

映画とかドラマによくある(と思う)(多分)、モノローグ的な主人公の独白とか、登場人物の会話を通して設定が説明されるとか、そういうのが全然なかったの。言葉での説明もそうだし、映像で映し出されるものも割と限定的で、飛び飛びだったと思う。

たとえば、美也子がパートの仕事を上手くこなせなくて辛いな〜向いてないな〜って感じてるシーンはある。兄のユウに「やめちゃえば?」って言われるシーンもある。
でも、店長に「辞めます」と言うとか、制服を返すとか、そういう場面はない。「兄の後押しもあって、私はパートを辞めることにした」みたいな一人称視点の説明もない。
少し物語が進んだところで、ユウの口から「やっぱりやめて正解だったね」みたいな言葉が出てきて、そこではじめて(あ、パートやめたんだ)と私たちの理解が追いつく。

そんな感じで、色んなことがあまり明言されずに物語が進んでいく構成が、私にとっては新鮮で、おもしろいな〜って思った。切り出された日常の会話と、画面に映るもの、あとは見る者の想像と推察で、綱渡りしていくみたいな感覚になった。
(実際のところ、前述のフォロワーは内容にはついていけたと言いつつ「あの……“ばっちゃ”って美也子の祖母ではない……よね?」と聞いてきたのでやっぱ綱渡りじゃんね!と思った)

ドタバタコメディとか、何かと戦うとか、そういうジャンルの作品でもないから、物語は全体的に静かに進んでいく印象を受けた。そもそも美也子が静かめなキャラクターというのも影響してるかも。

反対に、「音」がすごく目立っていたなと思う。意図的に音を拾っていたんじゃないかとすら思う。フォロワーとも映画終わって一番はじめにその話した。

たとえば茶碗を置く音、誰かが歩いてくる音、戸を開ける音、車のエンジン音、そういう生活の中に存在する音がすごくリアルに聞こえてきた。日常を淡々と映し出すような映画の構成にもハマってる演出だったと思う。映画のこと全然詳しくないけど。

そういう「日常の音」と一緒に聞こえてきたのが、津軽塗の工程の中で生み出される音で。刷毛が器を滑る音、菜の花の種を削ぐ音、仕掛けベラで模様をつける音、とか、他にもいろいろ。私にとっては新鮮で、印象的な音だったけど、それが私にも馴染みのある生活音に混じって聞こえてくることで、美也子や父・清史郎にとってはこれも「日常の音」なんだな、というのが伝わってきた。

津軽塗を作る過程で生まれる音っていうのは、当然、津軽塗職人以外には耳慣れない音だけど、聞いていて落ち着くし、心に馴染むような感覚もしたな。(音のソノリティみたいだなって思った瞬間が割とあった。普通にASMR方面の需要ありそう。)

 

それから、この映画の「寡黙さ」が、津軽塗職人の師弟としての美也子と清史郎の関係にリンクしてるように感じた。

清史郎は昔気質の職人で、口数も少なくて、作業について美也子に言葉で指示することはほとんどない。自分の塗り方を見て学べ、みたいに背中で語るタイプ。一方の美也子も、清史郎にあれこれ質問することはなくて(幼少期から漆が近い存在で、どうやればいいか分かるのかもしれないけど)、父の手さばきを横目で見ながら自分の作業を進めていく感じ。

こういう言葉のやり取りが少ない「師弟」としてのふたりの関係性と、説明がなく淡々と進む映画の構成がリンクしてるように見えて、なんかいいなって思った(突然消えた語彙)。

 

説明がなく、見えるものもツギハギで、あ、これは、けっこうこっちの理解に任されてる部分もあるな、と気づいてから、画面を、特に人をより注意深く見るようになっていたと思う。表情とか、言葉の選び方とか、間の取り方まで、あの映画の中では大事な情報だったし、ヒントになっているような気がした。

例えば、個人的に印象に残ってるのが、美也子が自分で塗った弁当箱を母・多美子に渡すシーン。
母が弁当箱を受け取ってから「ありがとう」の一言が出るまでの時間がすごく長く感じて、だからこそ、彼女の中でどんな思いが去来したんだろう、その「ありがとう」はどんな意味を持ってるんだろうって私も考えた。

美也子が多美子に津軽塗の弁当箱を渡した瞬間というのは、母の意見とは相反する、美也子なりの答えを真っ向から提示した瞬間だったと思う。
美也子の、たとえ自分が正しくてもなかなか意見を主張できないという性格は、映画冒頭から何度も描かれていた。そんな美也子が持つ「芯」が目に見える形で示されたのがあの場面だったと思う。

きっと美也子は、幼少期から自分の意見を表明することが苦手で、流されてしまったり、割を食ったりすることが多い子だったんじゃないかと想像する。多美子は母として、美也子のそういう姿をたくさん見てきたんだろう(多美子はズバズバ言えそうな感じだから美也子に相当やきもきしてたと思う)。
清史郎と離婚したのがいつ頃か分からないけど、多美子の中では、自分の知る美也子のまま、時が止まっていたんだと思う。だからこそ、弁当箱とともに美也子の揺るがない意志を突きつけられたことが衝撃的で、なかなか言葉が出てこなかったのかもしれない。多分、ショッピングセンターで会った時みたいに(本当に?)(生活していけるの?)(続けられるの?)(他の仕事じゃだめなの?)って色々、本当に色んな言葉が脳内を駆け巡っていたと思う。でも、最終的に出てきたのは「ありがとう」だった。

弁当箱を渡した後の「ありがとう」って、文字で見ると、弁当箱をくれたことに対する感謝の言葉ととるのが自然だ。だけど、あの間は、ただそれだけじゃなくて、一方的に津軽塗の仕事を否定した自分に歩み寄ってくれたこととか、美也子の精神的な成長を感じたこととか、清史郎との結婚を後悔しなくても良いのかも、と思えたとか、そういう色んな思いも詰まった「ありがとう」なんじゃないかと想像させる間だった。あと、やっぱり多美子も本当は漆が好きなのかもしれないと思った。そして、美也子はそういう母を覚えていて、だからこそ真っ向から否定された後でも津軽塗の作品を渡そうと思えたのかもしれない。知らんけど(知らんのかーい)。

まぁこんな感じで、セリフも少なめだからこそ、ところどころにこちらの解釈に委ねるような「余白」があって、その余白を受け手の想像で十分埋め尽くせるくらいの演技がある作品だなと思った。し、宮田くん……めちゃくちゃスキルが求められる作品に出演したんだな……とも思った。
以前宮田くんは、声優という職業について、「声」だけで感情や距離感を表すことの難しさや、これまでの自分が表情や仕草に頼って演技をしていたことに気付かされた、というような話をしてたけど、今回はその逆で、表情や仕草を細部までこだわることで、繊細な感情の動きがリアルに表現され、等身大の姿を観客に伝えることができる。日常をそのまま映し出したようなつくりだからこそ、そこに映る人々の「自然さ」が重要な気がした。

高校の時にミニドラマを自主制作して文化祭で流したことがあるんだけど、自然さを意識して普段の会話と同じようなテンションで話すと思いのほか棒読みになってて、逆に演技を意識するとすごい「演技してます!」って感じが出ちゃって、結構難しかったのを覚えてる。そんな感じで、「自然な演技」ってすごい難しいんだろうなって思う。
ここではじめて宮田くんの演技の話するけど、特にユウと美也子と3人でピアノを囲むシーンがよかったな。そもそも、堀田さんと坂東さんの空気感が「兄妹」すぎて、何度も共演経験あるとは言ってたけどすごすぎる……!と思ってたから、そこに宮田くんが加わっても自然な雰囲気が保たれていたのが嬉しかった。美也子と尚人はユウを中心とした線上の関係だったけど、それが円の形をした関係に変わっていく、それを表していたのがあのシーンだと思っていて、だからこそ、3人の空気感が自然であることがすごく大切だったと思う。

アニメ作品への声優出演を経て、声の持つ力や演じる難しさを改めて感じた宮田くんが、今度は演技の中の声以外の要素について、学んだものがあったんじゃないかな。そうだといいな。

 

4,000字ぐらい書いてるけど、もうひとつ話したいことあるから続けるね。そしてまた作品のつくりの話に戻るよ。こんな長いと思わずページ開いた人ごめん。

なんでこの作品を、余白が多い構成で作ったんだろうって思って、何か意図があるのかなって考えた。

もしかしたら、この物語の中に出てくる出来事は、「見せるために存在しない」からなのかなって思う。伝統工芸の後継者不足も、産業の衰退も、同性同士の恋愛も、家族間の微妙な関係も、作品のために作られたわけではなくて、そこに「ある」のだ。主人公を追いかけて「映した」というより、「映った」ものがメインで繋がれたような構成にすることで、作中で扱った問題や出来事の「存在している感」が際立ったんじゃないかなと思う。

そして、そういう「ある」物事が映る中で、美也子の挑戦が大きく羽ばたいていく。津軽の日常と地続きのところに、美也子にとっての、ひいては津軽塗にとっての希望が生まれて育っていく。だからこそ、伝統工芸の衰退はたしかに「ある」けど、再興もまた同じ世界で「有り得る」んだと感じられた。

 

改めて、色んなことを考えるきっかけにもなる、本当に素敵な映画だったな。
私は登場人物の誰とも境遇は違うけど、映画を見ながら自然に自分の周りのあれこれと重ねて考えてた。そういう、観る人に寄り添った映画でもあると思う。

そんな、心がほっとあたたかくなって、津軽塗に親近感が湧いて、ついでになんだか食欲も湧いちゃう最高の映画、「バカ塗りの娘」は9/1(金)に全国公開されます‼️青森県内では8/25(金)から先行公開‼️ぜって〜観てくれよな‼️‼️

津軽塗のアクセサリー探してるし、青森県行きたいなって思ったし、何なら映画終わってからフォロワーと津軽料理屋さんでご飯食べた。美味しかったな〜!!

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以下印象に残ったシーンなどについてもにゃもにゃ言ってるだけです。多分時系列ぐちゃぐちゃだし考察とかない。

  • ユウちゃんてはじめに出てきた時(みっこの髪切ってくれた時)と次に出てきた時で髪色変わった??
  • あの時電話で呼ばれて急いでどっか行っちゃったの絶対彼氏からの電話じゃん〜〜〜〜!!て思って見てた
  • ユウちゃんが青森育ちなのに標準語話してるのって尚人の影響もあるのかな〜って思った 同世代(多分)でもみっこは方言強めだったし
  • でも感情が昂った時は方言出てて、それもよかったな 魂は津軽人って感じしたし
  • 結婚式の前撮りしてるカップルを見つめる尚人の視線が険しくて辛くなってしまった……あの時結婚への思いが大きくなったのかな 実現できてよかったな〜
  • あの時みっこが届けた軍手、ユウちゃんがくれたやつなのかな
  • 宮田くんが左薬指に指輪してるの、BE LOVE以来2度目か……??と思って見てた
  • 舞台挨拶で聞いたりネット記事で見たりしてたから、学校の塀を乗り越えるシーンめちゃめちゃおもしろくなっちゃった チョーカッコイイ第1位だよ
  • 学校のシーンの尚人の服、それまでの尚人のイメージとちょっと違うな、オーバーサイズだし、ストリートカジュアルっぽいというか……て思ってたんだけど、もしかしてユウちゃんの服かな〜 (半?)同棲っぽいし、ユウちゃんオーバーサイズ着てたし
  • あとこの時の尚人顔が白いのに手真っ赤でびびった あと手ありえんでかかった
  • みっこが(おそらく)じんわりとした失恋のショックゆえ尚人にそっけない態度をとってしまうところから、学校に忍び込んで探検していくうちに段々と自然に話せるようになっていったのよかったな 対面しないことでみっこも必要以上に構えずに済んだのかな
  • おじいちゃんが使ってた箸を握りしめて泣くユウちゃんすごくよかったな……幼い自分が漆を塗った箸をおじいちゃんがずっと大事に使ってたこと、あの場ではじめて知ったユウちゃんの気持ちを思って泣いてしまった
  • ばっちゃは冒頭ユウちゃんのファッションとか異質に思ってたみたいだけど最終すんなり尚人のこと受け入れてたの良かったな
  • 尚人が挨拶に来た時、「あまり飲まないんです」って言われてもお酒注いでたお父さんが、最後は「飲まないんだっけ」みたいなこと聞いてたのよかった 尚人が「今日はいただきます」て言ったのもよかったな